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2011.11.07

広島にて-学会参加+広島市内、岩国、宮島訪問- Part2

 こんにちは、なえぼ駅前歯科の大村です。
のっけからですが・・・、院内掲示板にダイエット宣言!!しました。
こんな感じです。

ダイエット宣言

 ちなみに広島でもかなり歩きました 
冬眠する熊さん(今年はドングリが不作で、熊さんも強制ダイエット?となり何だか可哀想ですね)
のようにならないよう、冬の間もしっかり運動したいものです。
 
 話は脱線してしまいましたが、“ 広島にて Part2 ”広島市内観光の様子を本日はお話しさせて
いただきます。広島城、縮景園、原爆ドームと平和記念資料館に行ってきました。

 広島城(別名:鯉城、堀にたくさん鯉がいたからとも言われ、「広島東洋カープ」の由来となり
ました)は、豊臣秀吉の五大老の一人で112万石を領した毛利輝元により、1589年に築城
されました。

 その後1600年、関ヶ原の戦いで敗戦した後(毛利輝元は西軍の総大将でした!)、かわって
福島正則が2代目広島城主となりました。ちょうど福島正則没後450年ということで、「福島正則
の20年」という企画展を行っていました。

福島正則
       福島正則

 関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名の福島正則でしたが、二代将軍徳川秀忠が大名統制を
強化する中、幕府に無届けで城を修復したことを咎められ改易、以後1869年の版籍奉還
まで、およそ250年、12代に渡って浅野氏が広島城主をつとめました。

 浅野藩政時代の広島城は内堀・中堀・外堀のある約1キロメートル四方の広大な城でした
(縮景園も元は城内でした)。明治維新後に外堀が、原爆投下後に中堀が埋められ、現在は
内堀だけが当時の名残として残っています(広島市内の八丁堀は約8丁(880メートル)で
あった外堀にちなんだ地名だそうです)。

秋の広島城内堀の風景
   秋の広島城 内堀の風景

広島城
現在の広島城大天守閣(1958年に復元)

1945年8月6日午前8時15分原子爆弾投下によりすべての建物が崩壊するまで
350年近く保存されていました{1931年国宝に指定されていました)。

縮景園
   縮景園園内からの眺め

 縮景園は、広島藩主浅野長晟(ながあきら)が、元和(げんな)6年(1620年)から
別邸の庭園として築成させたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇でした
(当時は「泉水屋敷」と呼ばれていました)。

 明治時代以降は浅野家の別邸として利用され、「泉邸」と呼ばれるようになりました。
1913年からは一般にも開放され観覧できるようになり、1940年、浅野家から広島県に
寄付されて国の名勝に指定されました。原爆投下で壊滅的な打撃を受けましたが、1951年
に復元・開園し「縮景園」と改称され現在に至っています。

 何だか歴史の講義のようになってしまいすいません  
                            
 迎暉峯(げいきほう)と呼ばれるこの高台からは江戸時代、広島湾に浮かぶ似島(にのしま)
や厳島が一望でき、出船入船の様子も手に取るように見えたそうです。何とも風情ですね~。

 ゆっくり園内を見て周り、池の鯉に餌をあげたりして、いつもの慌ただしい日常から解放
されてしまいました。お天気も良く広島の秋を満喫した心地よい1日でした。
(次回はPart3に続きます)

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