2018.01.07
HP掲載症例Part3 : 重度歯周病患者 Mさん(治療例7)の初診から15年後の現在
今日の札幌は天気も良く絶好のスキー日和ですが、ただ今病院で仕事の最中です(笑)。
皆様いかがお過ごしでしょうか、なえぼ駅前歯科の大村です。
6日(土)から一応三連休なのですが、今日は朝から毎年企業健診にきていただいているM社の企業健診
結果を作成していました。先ほど郵送し無事完了、今度はブログを書き始めています。
年末、年始、普段あまり動かしていなかった腰、肩の筋肉を酷使したため、腰、肩に張りと痛みを生じて
しまい、昨日は豊平にあるステラはり・灸整骨院さんに行きました。電気、針、マッサージを1時間ほど
受けて重かった腰がだいぶ軽くなりましたが、もう少し加療が必要とのことでしばらく治療を継続する予定です。
年末多忙でランニングもほとんどできていなかったので、あまり負担を掛け過ぎないよう注意しながら、
このブログを書き終えたら走り(歩きかな?)に行こうと思っています。
本日は昨年8月から継続している、当院HPの重度歯周病治療例(治療例1,2,7)の最後、Mさん(治療例7)
の初診から15年後の現在をお話させていただきます。
Mさんが当院にお見えになられたのは、平成15年4月ですので、もうすぐ15年になります。
当院で治療を終えメインテナンスされていた奥様のご紹介でした。
平成5年に全顎治療を行い、不定期ではあるものの検診を10年間行っていたかかりつけの歯科医院で、
右上ブリッジを1ヵ月前に装着したとのこと。その際、「今度ここにトラブルがあったら、この歯は抜歯になります」と
言われたそうです。その右上奥が一昨日からしみて全く噛めなくなったとのことでした。
検診を継続していたので、自分の歯の健康は維持されているものと思っていたのにそうではなかった。
10年間検診をしていたのは、単に歯石を取ったり、歯をクリー二ングしていただけだったのかとその時初めて
悟ったそうです。
奥様に比べるとブラッシング時間も短く、晩酌した後はそのまま寝てしまうことも多いとおっしゃられていました。
これが初診時の奥歯の状態です。

ほとんどすべての歯、特に奥歯は10本くらいがかなり重症で、このままでは歯が次々となくなってしまうことが
容易に想像される口腔内の状態でした。2年後、治療終了時の同部位です。

歯周病治療の結果、すべての歯を保存することができ(部分的な抜根あり)、さらに根の周りの骨が平らに
回復しているのがわかるかと思います。Mさんの歯周病治療は、歯の自然移動をうまく利用し、歯周外科処置を
1ヵ所も行うことなく治癒、安定させることができました。
また左下の一番奥(向かって右下の一番奥)の歯は、歯ぐきの処置中に支えの骨が極端に少ないためグラグラで
抜けてしまい、しかしながらこの歯を抜歯してしまうと手前の半分だけの根もダメになってしまうと考え、保存を試み
エムドゲインを使った再生再植を行いました。
初診から14年後、平成29年の状態です。

初診から14年後(平成29年)の状態
一か所の再治療なく(当然1本の抜歯もなく)、15年近く現状を維持しています。歯ぐきの治療中に抜けて
再生再植を行った左下奥は正直保存も難しいと思っていましたが、こうやって長期に観察してみますと、
想像以上に長く持っているのがわかると思います。
ところでMさんは治療終了時からブラッシング上手でピカピカの歯ぐきであったかと言うと実はそうでもなく(笑)、
最初はブラッシングにも波があり、いつか進行してしまうのではないかと正直ヒヤヒヤしていました。
しかしながら波がありながらも3ヵ月のメインテナンスを継続された結果、3年、5年とトラブルなく経過したことで
ご自身の口腔健康に対するモチベーションも上がり、現在では多少のプラークではびくともしない、磨きこまれた
硬い歯ぐきへと変化しています。

平成29年現在の口腔内
初診時62才であったMさんも現在77才となりました。80才までまだ3年あるのですが、できるだけ長く
現状を維持していただき、ご自身の歯でしっかりと何でもおいしく食べることのできる健康な80才を迎えて
いただきたいと願っています
ただ今奥様と沖縄にご旅行中で、暖かい沖縄を満喫しますます健康に磨きがかかっていることと思いますが、
口腔健康を通してMさんの幸せにささやかながら貢献できていることを大変嬉しく思っている次第です。
皆様いかがお過ごしでしょうか、なえぼ駅前歯科の大村です。
6日(土)から一応三連休なのですが、今日は朝から毎年企業健診にきていただいているM社の企業健診
結果を作成していました。先ほど郵送し無事完了、今度はブログを書き始めています。
年末、年始、普段あまり動かしていなかった腰、肩の筋肉を酷使したため、腰、肩に張りと痛みを生じて
しまい、昨日は豊平にあるステラはり・灸整骨院さんに行きました。電気、針、マッサージを1時間ほど
受けて重かった腰がだいぶ軽くなりましたが、もう少し加療が必要とのことでしばらく治療を継続する予定です。
年末多忙でランニングもほとんどできていなかったので、あまり負担を掛け過ぎないよう注意しながら、
このブログを書き終えたら走り(歩きかな?)に行こうと思っています。
本日は昨年8月から継続している、当院HPの重度歯周病治療例(治療例1,2,7)の最後、Mさん(治療例7)
の初診から15年後の現在をお話させていただきます。
Mさんが当院にお見えになられたのは、平成15年4月ですので、もうすぐ15年になります。
当院で治療を終えメインテナンスされていた奥様のご紹介でした。
平成5年に全顎治療を行い、不定期ではあるものの検診を10年間行っていたかかりつけの歯科医院で、
右上ブリッジを1ヵ月前に装着したとのこと。その際、「今度ここにトラブルがあったら、この歯は抜歯になります」と
言われたそうです。その右上奥が一昨日からしみて全く噛めなくなったとのことでした。
検診を継続していたので、自分の歯の健康は維持されているものと思っていたのにそうではなかった。
10年間検診をしていたのは、単に歯石を取ったり、歯をクリー二ングしていただけだったのかとその時初めて
悟ったそうです。
奥様に比べるとブラッシング時間も短く、晩酌した後はそのまま寝てしまうことも多いとおっしゃられていました。
これが初診時の奥歯の状態です。

ほとんどすべての歯、特に奥歯は10本くらいがかなり重症で、このままでは歯が次々となくなってしまうことが
容易に想像される口腔内の状態でした。2年後、治療終了時の同部位です。

歯周病治療の結果、すべての歯を保存することができ(部分的な抜根あり)、さらに根の周りの骨が平らに
回復しているのがわかるかと思います。Mさんの歯周病治療は、歯の自然移動をうまく利用し、歯周外科処置を
1ヵ所も行うことなく治癒、安定させることができました。
また左下の一番奥(向かって右下の一番奥)の歯は、歯ぐきの処置中に支えの骨が極端に少ないためグラグラで
抜けてしまい、しかしながらこの歯を抜歯してしまうと手前の半分だけの根もダメになってしまうと考え、保存を試み
エムドゲインを使った再生再植を行いました。
初診から14年後、平成29年の状態です。

初診から14年後(平成29年)の状態
一か所の再治療なく(当然1本の抜歯もなく)、15年近く現状を維持しています。歯ぐきの治療中に抜けて
再生再植を行った左下奥は正直保存も難しいと思っていましたが、こうやって長期に観察してみますと、
想像以上に長く持っているのがわかると思います。
ところでMさんは治療終了時からブラッシング上手でピカピカの歯ぐきであったかと言うと実はそうでもなく(笑)、
最初はブラッシングにも波があり、いつか進行してしまうのではないかと正直ヒヤヒヤしていました。
しかしながら波がありながらも3ヵ月のメインテナンスを継続された結果、3年、5年とトラブルなく経過したことで
ご自身の口腔健康に対するモチベーションも上がり、現在では多少のプラークではびくともしない、磨きこまれた
硬い歯ぐきへと変化しています。

平成29年現在の口腔内
初診時62才であったMさんも現在77才となりました。80才までまだ3年あるのですが、できるだけ長く
現状を維持していただき、ご自身の歯でしっかりと何でもおいしく食べることのできる健康な80才を迎えて
いただきたいと願っています

ただ今奥様と沖縄にご旅行中で、暖かい沖縄を満喫しますます健康に磨きがかかっていることと思いますが、
口腔健康を通してMさんの幸せにささやかながら貢献できていることを大変嬉しく思っている次第です。
スポンサーサイト
2018.01.03
思い出に残る恩師の訃報に接して
新年あけましておめでとうございます、なえぼ駅前歯科の大村です。
昨年は多くの患者さんにご来院いただき誠にありがとうございました。
今年も口腔健康を通して、ささやかながら皆様の幸せに貢献できますよう、スタッフ共々良質な医療と
きめの細かな対応に努めていく所存です。
昨年暮れは年末の慌ただしい日常診療の中、11月末の破折歯接着保存治療フォローアップセミナーに
始まり、S歯科医院さんでの定例勉強会、また東京でのPDMシンポジウム(「保険診療・自由診療併用の
問題点討議」のパネリスト)、所属研究会での例会発表までが年内目白押しに詰まっていました
その合間に眞坂先生のセミナーのお手伝いや忘年会が4つ(例年出席している北大のTMJ(顎関節症)忘年会
だけはどうしても参加できず)、更に10年以上前から行っている患者さん向けの年賀状を1年間の感謝の気持ちを
添えて200枚ほど作成しました。できるだけ外部の仕事は受けないようにしてはいるのですが、それでも今年は
例年と比べてもかなりハードでした。
そのような慌ただしさの中、私が小学生の時に大変お世話になった二人の恩師の訃報が届きました
このブログの最初のプロフィールにも書かせていただきましたが、私は4才の時に急性肺炎に罹り、その時に打った
ストレプトマイシンの副作用で両耳難聴になりました。
大阪の小児センターでは普通学校は難しいと言われたのですが、私の母が校長先生にお願いして何とか入学させてもらい、
その時1年の担任だったのが北川英子先生でした。
1年の半分近くを病院通いに費やしていた私のために、いつも学校が終わった後、私の自宅に立ち寄って勉強を
教えてくださいました。その後も50年、北川先生とのお付き合いは続き、10年位前に大阪で学会があった時にも
お会いして、毎年お電話で近況報告もしていたのですが、昨年90歳でお亡くなりになられました。

スイートピー「優しい思い出」
また私は父が転勤族であったことから小学校は3回転校しており、6年生の夏に京都から滝川に転校した際、
滝川第一小学校で担任をされていたのが中村淑先生でした。
当時大阪、京都では公害(光化学スモッグ)が社会問題となっており、両親は都会の便利さはなくても公害のない
この北海道の自然豊かな環境の中で、一番大切な成長期を大らかに伸び伸び育てたいという思いがあったようです。
後から知ったのですが、本州から転校してきたばかりの耳が悪い私のために、中村先生は数名の気持ちの優しい
友達を付け、何かとサポートして下さったとのこと、先生とはよくいろいろなお話をした記憶があります。
耳が悪いということが大きなハンディキャップになっていましたので、両親は私の進路を大変心配していました。
小学校を卒業する際、数学が専門である中村先生から「お宅のお子さんは理数関係に優れた能力を持っているので、
そちらをぜひ伸ばしてあげてください」といただいた助言は、私の両親にとって、その後私が歯科医師を目指す上で
大きな力添えとなったようです。

「僕の好きな先生」
中学、高校の時にも、夏休みには仲の良い友人数人とご自宅に遊びに行かせていただきました。
また私の結婚式の際にはぜひ出席していただきたいと思い、当時奈井江にあった先生のご自宅にも伺いました。
中村先生は栗山町で教育長までされた後、厚別にお住まいになられていましたが、その後お会いできなかったことは
大変悔やまれます。
中村先生のブログ「こんな人が教育長!」(今回奥様からお手紙をいただきブログの存在を知りました)には、
当時の私の話や母がPTA文集に投稿した原稿も掲載されており、40年以上前の当時を懐かしく思い出しながら
拝読させていただきました。
私の息子は中村先生の母校を卒業して現在小学校の先生をやっていますが、北川先生、中村先生のように、
生徒(親も含めて)一人ひとりと向き合い、気持ちに耳を傾け理解に努めることのできる先生、またその生徒のために
時には厳しく、また温かい心を持って接し、その子の特長を引き出し、将来に向けて支援することのできる先生、
そしていつまでも生徒の記憶に残り、お互い歳を重ねても慕ってもらえる先生を目指して努力してほしいと願っています。

バラ(白、ピンク)「尊敬」「感謝」
今年初めてのブログで私的なことを長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回は昨年8月から継続している当院HPの重度歯周病治療例(治療例1,2,7)の最後、Mさん(治療例7)の初診から
15年後の現在をお話させていただきます。
昨年は多くの患者さんにご来院いただき誠にありがとうございました。
今年も口腔健康を通して、ささやかながら皆様の幸せに貢献できますよう、スタッフ共々良質な医療と
きめの細かな対応に努めていく所存です。
昨年暮れは年末の慌ただしい日常診療の中、11月末の破折歯接着保存治療フォローアップセミナーに
始まり、S歯科医院さんでの定例勉強会、また東京でのPDMシンポジウム(「保険診療・自由診療併用の
問題点討議」のパネリスト)、所属研究会での例会発表までが年内目白押しに詰まっていました

その合間に眞坂先生のセミナーのお手伝いや忘年会が4つ(例年出席している北大のTMJ(顎関節症)忘年会
だけはどうしても参加できず)、更に10年以上前から行っている患者さん向けの年賀状を1年間の感謝の気持ちを
添えて200枚ほど作成しました。できるだけ外部の仕事は受けないようにしてはいるのですが、それでも今年は
例年と比べてもかなりハードでした。
そのような慌ただしさの中、私が小学生の時に大変お世話になった二人の恩師の訃報が届きました

このブログの最初のプロフィールにも書かせていただきましたが、私は4才の時に急性肺炎に罹り、その時に打った
ストレプトマイシンの副作用で両耳難聴になりました。
大阪の小児センターでは普通学校は難しいと言われたのですが、私の母が校長先生にお願いして何とか入学させてもらい、
その時1年の担任だったのが北川英子先生でした。
1年の半分近くを病院通いに費やしていた私のために、いつも学校が終わった後、私の自宅に立ち寄って勉強を
教えてくださいました。その後も50年、北川先生とのお付き合いは続き、10年位前に大阪で学会があった時にも
お会いして、毎年お電話で近況報告もしていたのですが、昨年90歳でお亡くなりになられました。

スイートピー「優しい思い出」
また私は父が転勤族であったことから小学校は3回転校しており、6年生の夏に京都から滝川に転校した際、
滝川第一小学校で担任をされていたのが中村淑先生でした。
当時大阪、京都では公害(光化学スモッグ)が社会問題となっており、両親は都会の便利さはなくても公害のない
この北海道の自然豊かな環境の中で、一番大切な成長期を大らかに伸び伸び育てたいという思いがあったようです。
後から知ったのですが、本州から転校してきたばかりの耳が悪い私のために、中村先生は数名の気持ちの優しい
友達を付け、何かとサポートして下さったとのこと、先生とはよくいろいろなお話をした記憶があります。
耳が悪いということが大きなハンディキャップになっていましたので、両親は私の進路を大変心配していました。
小学校を卒業する際、数学が専門である中村先生から「お宅のお子さんは理数関係に優れた能力を持っているので、
そちらをぜひ伸ばしてあげてください」といただいた助言は、私の両親にとって、その後私が歯科医師を目指す上で
大きな力添えとなったようです。

「僕の好きな先生」
中学、高校の時にも、夏休みには仲の良い友人数人とご自宅に遊びに行かせていただきました。
また私の結婚式の際にはぜひ出席していただきたいと思い、当時奈井江にあった先生のご自宅にも伺いました。
中村先生は栗山町で教育長までされた後、厚別にお住まいになられていましたが、その後お会いできなかったことは
大変悔やまれます。
中村先生のブログ「こんな人が教育長!」(今回奥様からお手紙をいただきブログの存在を知りました)には、
当時の私の話や母がPTA文集に投稿した原稿も掲載されており、40年以上前の当時を懐かしく思い出しながら
拝読させていただきました。
私の息子は中村先生の母校を卒業して現在小学校の先生をやっていますが、北川先生、中村先生のように、
生徒(親も含めて)一人ひとりと向き合い、気持ちに耳を傾け理解に努めることのできる先生、またその生徒のために
時には厳しく、また温かい心を持って接し、その子の特長を引き出し、将来に向けて支援することのできる先生、
そしていつまでも生徒の記憶に残り、お互い歳を重ねても慕ってもらえる先生を目指して努力してほしいと願っています。

バラ(白、ピンク)「尊敬」「感謝」
今年初めてのブログで私的なことを長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
次回は昨年8月から継続している当院HPの重度歯周病治療例(治療例1,2,7)の最後、Mさん(治療例7)の初診から
15年後の現在をお話させていただきます。
| HOME |